全念のすすめ:忙しい現代社会で、意識的に『献身』を貫くための思考法

「傾倒しない文化」との出会い

本稿は、ピデイビスの著書『全念(Dedicated)』を通じて、「傾倒しない文化」ががる現代社において、なぜ「身」が門家としての成果を左右するのかを、弁護士としてのに照らして考察するものである。職をめぐる葛藤や、身の代償としての心身の消耗にもれながら、一つの物事に深く打ちむことの意味を改めて問い直す。

忙しくスクロールする指先、壇上の発表者の言葉には関心を払わない参加者たち、首の健康を損ないかねないほど下を向いてテーブルの下の携帯電話ばかり見つめる視線……私は2019年のある行事に参加した際、そうした光景を目の当たりにしたことがある。参加者同士が挨拶を交わさない、あるいは挨拶を交わしてもすぐに携帯電話へと視線を戻し、互いに言葉を交わさない状況が続いていた。そのため、人は多いにもかかわらず、奇妙なほど静かな会場であった。

その光景を見ながら、私は「これは一体何なのか」という疑問を抱いた。人々はオフラインで対面する他者に関心を向けなかった。いや、厳密に言えば、関心を向けたくなかったのかもしれない。今日読んだ『全念(Dedicated)』という本で語られる「リキッド・モダニティ(liquid modernity)」、すなわち「傾倒しない文化」を、私自身が目撃したものと重ね合わせずにはいられなかった。この本を通じて、こうした文化的現象が特定の社会でのみ生じる例外的なものでは決してないということを確認することができた。

書名

全念(Dedicated

著者

ピート・デイビス



転職という選択と「献身」への問い

なかでも、この本で語られる「経歴を積むための転職」は、今なお私を悩ませる要素である。周囲で転職の事例が増えるにつれ、転職をしない私に対して「なぜ転職しないのか」と尋ねる人がいる。私自身、転職を全く考えなかったわけではない。ただ、過去の経験がそれを躊躇させるのである。以前、他の職場で短期間インターンとして勤務した経験があるが、「他人の仕事」だという思いが拭えず、どうしても懸命に取り組むことができなかった。さらに、それに見合う報酬や権限が与えられない職場であったため、必要最低限のことだけをこなし、いわゆるワークライフバランスを守るようになったが、そのように振る舞う自分自身の姿に満足できなかった。

もしかすると私は、「献身」できる環境と状態を求めていたのかもしれない。そして、現在身を置いている場所が私にとって「献身」できる環境を提供してくれているからこそ、長い間そこに留まっているのかもしれない。このように現在の場所で「献身」を重ねてきた結果、2020年と2021年のいずれにおいても良い成果を収めることができた。通常、事件は受任してから相当の時間が経過した後にようやく結果が出るものであるが、ただ一件を除いてすべて良い結果を得ることができた。

「賢さだけではウォルマートに勝つことも、人々の賃金を上げる助けになることもできない。心に炎が燃えていなければならないのに、君にはそれが見えない。」

264ページ

「献身」がもたらす成果とその代償

問題は、右の一節が示すように、良い結果を得るためには私自身の「献身」が求められるという点である。ただし「献身」とは、単に口先で「献身する、懸命に取り組む」と誓えば成し遂げられるものではなく、「精神力」あるいは「身体的エネルギー」を実際に消耗させなければならないものであるため、「献身」を通じて業務をこなした後にはひどく疲弊することが多かった。こうした理由から、2019年から2021年にかけて良い成果を収める一方で、その代償として様々な持病を抱え、病と共に過ごさねばならなかった。病院では異常な症状はないかと尋ねられ、体に相当な炎症反応が見られるとの診断を受けたこともある(体重が増えたが、これは脂肪というよりもむくみに近いと考えている。ただし運動も少しずつ並行して行っている)。

我々の社会は「献身」の重要性を十分に認識していないが、専門家の間においてすら、「献身」の有無によって結果は著しい差を見せる。実のところ、専門家の領域に達すれば、保有する「知識」そのものの差は大きくない。仮に差があったとしても、インターネットが発達した今日では必要なときに調べればよいことであり、その重要度は極めて低くなった。「献身」を通じてこそ「知識」の中に隠れている「意味」を見出すことができ、まさにその隠れた部分こそが結果において相当な違いを生み出す。表面上は紙一重の差に過ぎなくとも、実際の結果はその一枚の差によって大きく分かれることになる。

「深さは意味を与えるだけの働きをするのではない。深さはまた、我々が意味をより良く察知できるようにしてくれる。一つのテーマを深く掘り下げれば、微妙な違いをも見分けられる視野が生まれる。」

224ページ

知識を超えて「意味」を見出す力

問題は「その知識をどのような方法で活用し、望む結果を引き出すか」にあり、その過程では様々な障害要素が現れるものである。この本では次の逸話を紹介しながら、「全念」と「献身」を妨げる各種の要素を示している。

アンディ・シャララルによれば、単に楽しそうに見えるという理由でレストランを開きたいという人は多いという。しかし彼らは、「真夜中に詰まったトイレを直し、割れた窓ガラスを直し、停電になればすぐさま現場に駆けつけなければならない苦労」を念頭に置いていない。

218ページ

「格好よく見えるもの」「簡単そうに見えるもの」などは、実際には「他人がすでにそれを成し遂げているからこそ」そう見えるにすぎない場合があるという点を、常に心に留めておく必要がある。他人はそのように容易くこなせるようになるまでに相当な習熟の過程を経てきたはずであるが、我々にはその過程が見えないために、他人の成果が容易く成し遂げられたもののように映るのである。もちろん、「自分にもできる」という心構えは、何かを始めるにあたって非常に前向きな原動力となり得るが、そうした軽い動機は「確かに簡単そうに見えたのに、なぜこれほど難しいのか、もうやめよう」という安易な放棄につながりかねないという点にも留意する必要があると考える。

この本は、私が生きてきた中で感じてきた文化的変化を独自の用語で再定義することで、その実体を明確にしてくれた。また、こうした問題意識を私一人だけが抱いていたわけではないという事実を確認させてくれ、効率を盲信する社会の中で一見非効率に見える「献身」こそがこの社会の変化に必要であるという点を示してくれたという点で、大きな慰めとなった。

コメントを投稿