難解だった一冊との出会い
本稿は、シンキュベーション選定図書『ゲノム・オデッセイ』を読んだ感想を、弁護士としての実務経験と重ね合わせて綴ったエッセイである。理解の難しさに苦しみながらも、本書から得た「観察すること」の意味を、訴訟実務や依頼人との関わりに引き寄せて考察する。あわせて、韓国の法曹養成教育とアメリカの医学教育との違いについても私見を述べる。
本書は、シンキュベーションの選定図書の中で、最も難しく感じた一冊である。シンキュベーションに参加する前、シン博士から勧められた図書リストの中に健康関連の書籍があったが、当時はさほど関心がなく読み飛ばしてしまったことがある。おそらくそのために背景知識が不足し、本書がより難解に感じられたのではないかと思う。理解するのは容易ではなかったが、読み終えてみると、多くの点で得るものがあったと感じている。
理解が困難であったにもかかわらず、本書には随所に興味深い箇所を見出すことができた。
肺塞栓症は気づかれないまま見過ごされることが多いが、時に深刻な結果をもたらすこともある。その始まりは、たいてい脚にできた血栓である。……そしてある瞬間、血栓はちょうど自分と同じ太さの肺血管の枝に行き当たる。通路にぴったりとはまり込んだ血栓はそれ以上進むことができず、行く手を塞いでしまう。血流が途絶えた肺組織は栄養と酸素を失い、たちまち窒息状態に陥る。組織が死んでいく間、患者はみぞおちが引き裂かれるような痛みや息切れ、酸素不足の症状に苦しむことになる。
弁護士という職業のストレスについて
最近、みぞおちではなく胸や肩のあたりが塞がったような感覚とともに、呼吸がやや苦しいと感じることがあり、上記の症状と似ているのではないかと不安を覚えている。弁護士として長年業務を行ってきた中で、相当なストレスを受けてきたことが原因ではないかと考えている。弁護士のコミュニティにおいても、企業内弁護士や公共機関所属の弁護士ではなく、一般の訴訟業務を担当する弁護士の中には、様々な疾患を抱え、それについて投稿する例をしばしば目にする。そうした投稿には、退職して休養を取ることを勧める返信が多く寄せられているのが確認できる。
それほどまでに、弁護士業務はストレスそのものであると言える。事件を多く受任すれば、勝敗を問わずそのすべてを処理しなければならないためストレスを受け、反対に受任件数が少なければ、その少ない事件で必ず勝訴し、成功報酬を得なければならないため、これもまたストレスとなる。ただし、後者の場合の方が相対的に大きなストレスを伴うように思われる。勝敗や勝訴率にかかわらず事件数が多ければ収入は確保されるため、アソシエイト弁護士を活用して業務を進めればよいが、事件数が少ない場合には、少数の事件のみで事務所を運営しなければならないため、必ず勝訴しなければならないという重圧が大きく、その過程で担当弁護士の健康がかなり悪化する例が多いように見受けられる。
最近では後頭部にしこりができたり、胸や肩のあたりが塞がったような感覚とともに呼吸が苦しくなったりするなど、体調が正常とは言えない状況にある。休養が必要であるにもかかわらずそれができない状況であるため、最近は「投資」に力を入れている。投資に成功すれば業務の強度をいくらか下げたいと考えており、健康がこれ以上悪化する前に、そうした状況が一日も早く訪れることを願っている。
「見ること」と「観察すること」の違い
本書でもう一つ印象に残った箇所は、次の通りである。
ホームズは、(受動的な行為である)「見ること」が(能動的な行為である)「観察すること」とは明確に異なると、繰り返し強調している。……「私が探しながら見て回ったからこそ、目に留まっただけです」。同様に、私たちの医学部でも、講義の中で学生たちに能動的に観察するようにと繰り返し教えている。たとえば、患者の脈がわずかに遅いことに気づき、大動脈が狭くなることで生じる雑音がないか、すぐに確認できるようにするためである。
実際に業務を行う中で、「見ること」と「観察すること」の違いを自ら悟るようになり、これを業務遂行の過程に適切に活用している。そのためか、勝訴率は比較的高い方であると考えている。依頼人もまた、担当弁護士の業務遂行能力を見極めようとするならば、以上の点を参考にすることができるだろう。相談の際に事件の説明をする中で、担当弁護士がどれだけ多くの追加質問をするかを見てみることを勧めたい。質問をせず、ただ聞くだけであれば、訴訟の進め方もまた受動的になる可能性が高い。反対に質問が多ければ、依頼人が説明する事件を弁護士が能動的に再構成しながら耳を傾けていると言える。事件を再構成しながら聴取する過程で、自然と質問は増えていき、その過程で勝訴の可能性を高める方策が導き出されるからである。
韓国の法学教育とアメリカ式教育への羨望
本書によれば、アメリカの医学部では講義の中で学生に能動的な観察を行うよう絶えず教育しているという。しかし、韓国の法学部やロースクールでは、このような教育はほとんど行われていない。大多数の授業は講義形式で進められ、学生はまず暗記することを中心に学ぶ傾向にある。これはロースクール制度そのものの問題というよりも、かつての司法試験が暗記中心の試験であったことに起因する問題であると考えられる。こうした問題意識のもとでロースクール制度が導入され、その制度下でリーガルクリニック課程やモートコート大会などが設けられた。しかし、小学校から高校に至るまで暗記中心の教育に慣れ親しんだ学生たちは、法学部やロースクールに進学した後も、同じような学び方を好む傾向を見せる。そのため、制度の中で変化を図ろうとしても容易ではない状況にある。学生たちは暗記中心の学習方法を心地よく感じ、暗記中心の試験の方がより「公正」であると認識する傾向がある。こうした理由から、アメリカ式の教育方法を導入することには困難が伴うように思われる。
