自分なりに励んできた日々への自負
本稿は、『書く人間』という一冊の本を通じて、ヴァージニア・ウルフやポール・ヴァレリーといった偉大な書き手たちの圧倒的な記録量に触れた、ある弁護士の率直な感想を綴ったものである。日々多忙な業務に追われながらも自己研鑽に励んできたと自負していた筆者は、彼らの徹底した「書く習慣」を知り、深い恥じらいとともに、記録することの意味を改めて見つめ直すこととなった。
私はこれまで、自分なりに相当勤勉に生きてきたと自負していた。休日も自己研鑽に努め、平日もほぼ一日中仕事に没頭する生活を送ってきたからである。かつて申英俊博士が「週八十時間以上働くべきだ」と述べたことがあるが、当時の私は、自分もそれくらいは働いていると考えていた。
Title: ノートブック - 紙の上での思考の歴史 -
Author: ローランド・アレン
『書く人間』が映し出した、偉大な書き手たちの記録
しかし、本書『書く人間』を読み、昔の人々は実に大したものだと思うようになった。彼らは、現代人である私が享受している文明の発展を享受できない環境に置かれていたはずである。それにもかかわらず、私よりもはるかに多くの記録を残し、自己研鑽に励んでいたのである。
「ヴァージニア・ウルフは幼い頃から、はるかに勤勉にノートをつけていた。……すなわち、それら二十九冊の習字帳のうち、一九一九年に記した三冊目には、締め切りに間に合わせるため、一週間毎日欠かさずダニエル・デフォーの小説を『ペンとノートを手に、真剣に』読んだことが記されている。」
「ヴァレリーは二万八千ページに及ぶノートを、自らの『真の全作品』と呼ぶほど、ノートに一身を捧げた。五十年にわたり毎朝五時ちょうどに起き、知的鍛錬のための私的な時間を過ごしながら、習字帳二百六十一冊を書き上げたのである。」
二百六十一冊のノートが突きつけたもの
大したものではないか。毎日を懸命に生きていると自負してきた自分自身が、恥ずかしく思えてくる。習字帳二百六十一冊とは、実に驚くべきことである。おそらく、生涯を通じて記録し学び続けて初めて、あれほどの量のノートが生まれるのであろう。
これからノートを携えて生きるということ
自らの人生の一瞬一瞬を意味あるものとして生きるためにも、ノートに記録を残す必要性を切実に感じている。いつか死を迎えるということを思うと、この世界に広がる膨大な知識と経験を存分に感じ取ってから死にたいという思いが湧いてくる。何一つ見逃さず、何一つ取りこぼすことなく、目に焼き付け、頭に刻み込みたいのである。
ノートを常に携えて生きねばならないと思わせてくれる一冊であった。
